2023/8/31

ドライバー 坪井翔選手インタビュー

日本でもっとも人気があるレースシリーズである「SUPER GT」のGT500クラスで、au(KDDI)がスポンサードしている「36号車 au TOM'S GR Supra」をドライブしているのが、坪井翔(つぼい しょう)選手と宮田莉朋(みやた りとも)選手。2人ともトヨタ自動車のワークスドライバーとしてトップクラスに位置する選手で、人気と実力をともに兼ね備えているため「ダブルエース」などと呼ばれるコンビだ。

 坪井翔選手は下位カテゴリーで多くのタイトルを獲得したのち、2019年に日本の最高峰シリーズとなるSUPER GTにステップアップ。2021年に「au TOM'S GR Supra」に加入すると、その年の最終戦で初優勝を遂げると同時に、逆転不可能だと思われていたポイント差を逆転して見事チャンピオンに輝く大活躍を見せた。今回はインタビューを通して坪井選手の素顔に迫る。

SUPER GTは街中を走る車両がレーシングカーになって競争するレース

──SUPER GTとはどのようなレースでしょうか?

坪井選手:SUPER GTの最大の特徴は、プリウスのような身近なクルマや、僕が乗っているスープラのようなスポーツカーなどが、レーシングカーになってレースをしていることにあります。最初はレースに興味のない方でも、「あっ、自分が乗っている」、あるいは「街中でよく見かけるあのクルマがレースしている」と親近感を持っていただけるのではないでしょうか。

 もう1つの特徴は音だと思います。実際にサーキットに来ていただき、音を聞くだけで十分驚くのではないかなと。そういう刺激をいろいろ感じることができるレースになっているので、ぜひサーキットにお越しいただいて体感してほしいです。

──坪井選手が走らせているau TOM'S GR Supraは、市販車として公道を走っているGRスープラがベースになっていますが、スープラってどんなクルマなのでしょうか?

坪井選手:今、若者のクルマ離れなんて言う人もいらっしゃいますが、やはりクルマに乗ることは楽しいと思います。その中でGRスープラはスポーツカーであり、かつラグジュアリーカーにもなるという2つの性格を備えたクルマだと考えています。見た目も格好よいですし、運転してみるとパワーもある。そういうところが市販車として魅力的な部分です。その魅力的なスープラがレーシングカーになってサーキットを全力で走っているのが、SUPER GTの魅力です。

 また、SUPER GTには「サクセスウェイト」というルールがあります。簡単に言えば、勝った人や上位でゴールしたマシンには、重りをだんだんと搭載していき、同じ車両がずっと勝ち続けることを防ぐ仕組みです。そのためシリーズ全8戦のうち、開幕戦に勝ったからといってずっと勝ち続けることは難しいので、頭を使ってバランスよく重りを積むようにしていくことが重要です。そして、サクセスウェイトの重りがなくなる終盤戦でちゃんと勝てるようにしていかなければならないのです。

 そのため、今ポイントリーダーの座にいても、「必ずチャンピオンになります」なんてことは言えないシリーズです。そこも魅力の1つだと言えます。

プロドライバーを意識したのは、トップカテゴリー直下のカテゴリーで戦っていたころ

──プロドライバーを目指すきっかけはどんなことだったのでしょうか?

坪井選手:最初はあまりプロドライバーになることを意識はしていなかったです。5歳ごろからカートを始めているので、そのころは楽しくて乗っている感じでした。ただ、少しずつ成長していく中で、自分の中で目標ができて、プロドライバーというのを意識し始めました。ただ、そのきっかけはカートに乗っていて楽しかったというのがあったと思います。

──カートはご両親に連れて行かれて始めたのでしょうか?

坪井選手:そうです、父親が自分でクルマをいじったりするぐらいのクルマ好きでしたので。ただ、父はレースとかにはまったく出たことがなくて、ショッピングセンターの中にあったカート場で、イベント感覚で乗ったのが最初でした。それが(自分も父親も)楽しかったので、「じゃあ、それなら本格的に始めてみよう」という形でカート場に行って……というのがスタートでした。自分で言うのもなんですが、実は僕、結構何をやっても長続きしないのです。それなのに父親に怒られたりもしながらずっと続けていたので、やっぱり楽しかったのだろうなとは思います。

──ちなみにあまり続かなかったものはなんですか?

坪井選手:勉強はあんまり好きじゃなかったので長続きしませんでした(笑)。

──プロドライバーになりたいと本格的に思ったのはいつごろですか?

坪井選手:まだジュニアフォーミュラ(若手のドライバーがカートからステップアップして乗るレース専用車両=フォーミュラカーによるレース、フォーミュラカーというのはF1のようなタイヤが露出しているレーシングカーのこと)に参戦したころ、当時の若手ドライバーがこぞって参加していた登竜門シリーズの「FCJ」というシリーズが当時あって、それに参加していました。確か高校1年ごろでした。

 そこから20歳ぐらいのときにSUPER GTと併催されているジュニアカテゴリーとなるFIA F4に参戦してチャンピオンを獲り、全日本F3選手権(現在はスーパーフォーミュラ・ライツと呼ばれているシリーズで、トップカテゴリーであるスーパーフォーミュラの直下で若手ドライバー参加するシリーズ)でチャンピオンを獲り、それからSUPER GTやスーパーフォーミュラなどのトップカテゴリーにステップアップしてきた形になります。

 プロドライバーになれそうだなと思ったのは、そのF3を3年やって3年目でチャンピオンが見えてきたころですかね。それまでは正直、今のことに精いっぱいで先のことは見えていなかったです。

──プロドライバーになってよかったことはなんですか?

坪井選手:小さいころから運転が大好きで、ずっとカートに乗っていたのですが、それが大人になっても職業として続けられているということです。ただ、大人になって職業になると、レーサーとしては結果を残さないといけないですから、プレッシャーや責任というものは感じます。ただ、今もクルマに乗っていて楽しいというのは変わらないので、根本は変わっていないと思います。

──やはりそういうプレッシャーや責任というのは強く感じますか?

坪井選手:それほど強くではないです。ただ、今のようなトップカテゴリーではなく、若手ドライバーだった時代には、「もう来年は上のカテゴリーへは上がれないのではないか?」というプレッシャーを感じていました。今は自分の出してきた実績だったり、経歴だったりを積み重ねてきているので、自分のベストをちゃんと出す、最善を尽くすのだということをやっていけば結果が出せると信じてやっているので、あまりそういうプレッシャーを感じることは当時よりは少なくなっています。

──プロのドライバーを辞めたいと思ったことはありますか?

坪井選手:今のところはないですね。やっぱり走っていて楽しいです。ただ、プロドライバーになったからこそ、成績に対する責任とかいろいろプレッシャーが増える中で、小さなころに感じていた、ただ楽しいとはちょっと種類が変わってきたかなという気持ちはあります。

au TOM'S GR Supraでチャンピオンになった2021年の最終戦は坪井選手の人生を変えたレース

──そんなプレッシャーを感じながらSUPER GTに参戦を続けていますが、関口雄飛選手と組んでau TOM'S GR Supraに乗っていた2021年は、最終戦で見事な大逆転でチャンピオンを獲得しました。あのときはどんな気持ちだったのでしょうか?

坪井選手:チャンピオンを獲れたというのももちろんだったのですが、「ようやく勝てて、ホッとした」というのが正直なところです。それまで僕はSUPER GTのGT500で優勝していなかったので、「早く1勝しないといけないな」と感じていたときでした。やはり、一度も勝てない時期が長く続けば続くほど、自分は勝てないのではないかとプレッシャーを感じて悪循環になることがあるので、早く1勝しないといけないと思っていました。そのときにチャンスが来たので、そこをきちんとつかみ取れたことが大きかったです。

 あの1勝ができて、しかもSUPER GTのチャンピオンを獲れて、僕の人生は大きく変わったかなと感じています。

──これまでで一番会心のレースはどれですか?

坪井選手:やはりSUPER GTのチャンピオンを獲った、2021年の最終戦ですね。あのレースのことは一生忘れないと思います。ほかの車両がクラッシュでレースから脱落して、舞い込んできたチャンスを獲得して初優勝して、しかもチャンピオンを獲ったレースなので。

 日本の最高峰のカテゴリーでチャンピオンを獲ることができるというのは人生において何度もあることだと思わないので、その意味でも印象的なレースですね。有名なプロドライバーでもタイトルとは無縁で終わるというのも多いのがこの業界なので。

最近ハマっていることは昨年末から飼い始めた犬

──最近ハマっていることはなんですか?

坪井選手:昨年末に結婚したのですが、妻と暮らすことになったときから犬を飼い始めました。それまでは実家暮らしだったので、そういうことは考えたことがなかったのですが、新しい家族が増えて、妻とも犬とも楽しみながら暮らしています。

──昨年結婚された奥さまもレーシングドライバーということで坪井選手の結婚は話題になりました。奥さまも同じ業界というのはどんな感じなのでしょうか? やはり家でも仕事の話、つまりレースの話をされたりするのでしょうか?

坪井選手:あまりしないですね。両方とも仕事は仕事、家庭は家庭とスイッチを切り替える感じなので、家では仕事のことは忘れてプライベートを楽しんでいます。仕事のことはお互い言わなくても、結果とかを見れば分かりますからね。

 どうしても同じ仕事をしていると、仕事の内容が分かっているからこそ、逆に必要のないことを言ってしまう可能性があるので、妻も察してくれているのだと思います。同じ業界だからこそお互いにつらいところが分かるので、あえてそこは言葉にする必要はないかなと考えています。その逆に「お互いに結果がよかったときにお祝いしようね」なんて話をしています。

──お2人でお休みのときとかは出かけたりされますか? 例えば、その飼い始めた犬を連れてどこかにお出かけしたりとか?

坪井選手:もちろん一緒に散歩に連れて行ったりはします。ただ、まだ飼い始めてから1年経っていないので、あんまり外に出せるわけではないし、特に今の時期は非常に暑いので……。今後時間ができたらどっかに連れて行ってあげたいなと思っています。

──もう文字どおりワンちゃんに首ったけって感じですね。

坪井選手:そうですね、はい(笑)。本当に今はかわいい時期で、物を取ってきてと言うと取ってきてくれるし(笑)。

──逆にオンのときはどんなトレーニングをされていますか?

坪井選手:シーズンオフ(モータースポーツでは冬の間は基本的にはレースがなく、テストが行なわれる程度)には、クルマに乗れない時間が長いので、トレーニングを続けてなるべくシーズン中と同じような状態をキープするように心がけています。シーズン中はもうでき上がっていて、毎週末になんらかのカテゴリーのレースがあってほぼレースに出ているので、クルマに乗って鍛えるという形ですね。そして、休めるときには自分のスイッチを切ってオフをしっかり取ることを心がけています。そういうレースを忘れてリラックスする時間が僕にとってはとても大事です。今で言うと、犬と戯れたりする時間ですね。

将来は後進の育成などさまざまな形でモータースポーツ産業に恩を返せるようになりたい

──「au」のブランドメッセージ「おもしろいほうの未来へ。」にちなんで、最近「おもしろい」と思うことはなんですか?

坪井選手:おもしろいこと……やっぱり今の僕にとっては飼っている犬ですね。最初はこっちの言葉をまったく分かってくれなかったのですが、だんだんと意味が分かってくるようになって、「散歩行くよ」と言うとはしゃいだり、「おやつだよ」とかそういう単語単語のなんとなくの意味が分かるようで、意思の疎通ができるようになってきたことですね。日々成長しているのだと感じているのですが、今までそういう経験をしたことがなかったので、本当におもしろいと感じています。

──ドライバーとしての坪井選手の強みはどこにあるとご自分では考えていますか?

坪井選手:まわりの方からも言われるんですが、バトル(他車との競り合い)は割と得意かなと思っています。予選結果で決まるスタート順が後ろのほうだったとき(レースでは土曜日に予選を行ない1周のタイム順で決勝のスタート順を決定する)でも、前に行けることが多いかなと自分でも思っています。また、同じペースを維持して周回を重ねることも割と得意かなとは思っています。

──現在のチームメイトの宮田莉朋選手とは、全日本F3選手権の最後の年からチームメイトだったと聞いています。お2人が最初に会ったのはいつごろですか? また宮田選手の印象は?

坪井選手:子どものころのカートの時代には認識していなかったので、もしかしたらどこかで会っていたかもしれませんが、年齢が4歳違うので、子ども時代にはあまり関わりはなかったですね。お互いのことを認識して深く関わるようになったのは、やっぱり全日本F3選手権で同じチームで走るようになってからです。

 彼の最初の印象は、僕も人のこと言えないですが、あまりしゃべらないなというものでした(笑)。話しかければしゃべるけど、向こうからグイグイ話しかけてくるというタイプではないのかなぁというのが最初の印象でしたね。今も2人ともあんまり変わっていないと思いますが(笑)。

 ただ、最近はお互いに結婚したこともあり、私生活の話なんかもしますね。彼も最近ペットを飼い始めたこともあって、一番盛り上がるのはペットの話ですね。

──坪井選手は将来どんなドライバーになりたいと考えていますか?

坪井選手:ドライバーとしてということもありますが、モータースポーツに関わる関係者の1人としては、もっとモータースポーツを盛り上げていきたいと考えています。そのためにはできることをしていきたいと思っていますし、これからこの業界に入ってくる子どもたちがレースをやりたいと思って、この業界に入ってくれるような道筋を作っていかなければいけないと考えています。そうしなければ僕たち現役世代の未来もないと思うのです。その意味で、そうした後進に夢を与えられるようなドライバーにならないといけないと考えています。