2023/8/31
日本で最も人気があるレースシリーズである「SUPER GT」のGT500クラスで、au(KDDI)がスポンサードしている「36号車 au TOM'S GR Supra」をドライブしているのが、坪井翔(つぼい しょう)選手と宮田莉朋(みやた りとも)選手。2人ともトヨタ自動車のワークスドライバーとしてトップクラスに位置する選手で、人気と実力をともに兼ね備えているため「ダブルエース」などと呼ばれるコンビだ。
宮田選手はレースをしていないときはおとなしい感じの好青年だが、ステアリングを握ればファイターとなって激しいレースを展開し、多くのファンから支持されているトップドライバーの1人。今回はその宮田選手の素顔にインタビューを通して迫ってみた。
──SUPER GTとはどのようなレースでしょうか?
宮田選手:SUPER GTは日本の最高峰のレースシリーズで、最大の特徴はGT500とGT300という2つのクラスの車両が混走していることです。「au TOM'S GR Supra」はGT500クラスに参戦していますが、GT300クラスの車両とは速度差があって、それがおもしろいレースを演出することが多いのです。例えば、みなさんが高速道路を走っていても、速度差があるクルマが多いと渋滞が発生しますよね。それと同じでGT500車両が、周回遅れになったGT300車両に引っかかって順位が入れ替わったりする。そうしたことが起きやすく、それぞれ有利不利が出てきます。
また、自動車の出力を路面に伝えるタイヤに関しても、F1をはじめ多くのレースではタイヤというのは1メーカーだけが供給するという形になっていますが、SUPER GTでは4つのタイヤメーカーが参戦していて、それぞれ競争しています。つまり、複数のクラス、複数の自動車メーカー、複数のタイヤメーカーが参戦し、それぞれに競争しているのでサーキットのあちこちで何かが起きているというのがSUPER GTの最大の魅力です。
──プロドライバーになろうと思ったきっかけを教えてください。
宮田選手:僕の両親がモータースポーツの熱心なファンだったことがきっかけです。子どものころから動画を見せられたり、当時は地上波のテレビ放送があったF1の録画を見せられたりしていました。そのため、子どものころからモータースポーツに慣れ親しんでいた環境だったのです。そうした環境もあり4歳のころには、富士スピードウェイ近くのカート場などで、カートを始めてみようという話になって、カートに乗り始めました。カート場では、ライバルだったり、先輩だったりというたくさんのドライバーさんに出会って、レースのことを教えてもらいながら成長して今に至っています。
──「リトモ」というお名前も自動車が由来だとか。
宮田選手:僕の母がフィアットのチンクエチェント(FIAT 500)というクルマが大好きで。アニメ映画の「ルパン三世 カリオストロの城」で、主人公のルパンが乗っている車両として登場してくるモデルです。その流れで同じフィアットの小型車「リトモ」から名付けられたと聞いています。(なぜチンクとかエチェントではないのかと言うと)母が音大出身でピアノの先生もやっていて、イタリア語でリトモはリズムという意味とのことで、僕がまだおなかにいるときに決めたそうです。
それと僕がまだ母のおなかにいるときに両親はイタリアへ旅行したそうなのですが、テレビで音楽が流れると、それに合わせて僕が動いていたそうで、「それならいいのでは」と決まったと聞いています。
それで、今は実車のフィアット「リトモ」が実家にあります。きちんとフィアットの会長さんから「これはちゃんとフィアットから出されたものだ」という証明書のある個体とのことで、それがないとクルマが古すぎてホンモノ(正規の車体)かどうか分からないので整備してもらえないそうです。そんなこんなで名前の由来になった「リトモ」は、今も実家にあります。
──じゃあ、今ならお子さまができたら名前はスープラちゃんとか、プリウスちゃんとかになるのですか?
宮田選手:(笑)。まだ子供がいないので考えたことはないのですが、ただ、今ペットにはまっていて、犬3匹と猫1匹を飼っています。確かにその名前は全部洋風で日本人離れしていますね(笑)。
──そんな宮田選手ですが、本格的にプロドライバーになろう、あるいはなれそうかなと意識したのはいつ頃ですか?
宮田選手:うちの両親はクルマ好きではありましたが、普通の家庭だったので、課題は活動資金でした。モータースポーツではどのドライバーもこれは悩ましいことだとは思うのですが、僕の場合はカート時代に、高木虎之介さん(元SUPER GT・F1レーサーで現在TGR TEAM ENEOS ROOKIEの監督)が師匠になって応援してくれたことが大きかったです。そこが始点になって、いろいろな方に支援いただけることになり、4輪に上がってからはトヨタさんがさまざまなサポートをしてくださって、トヨタの名前を背負ってレースをさせてもらうことが可能になったのです。そこからはトヨタさんの期待に応えられるように速さと結果を証明していけば、トヨタの一員としてレースができる。そうした環境になったというのが、プロになったなと思えた時期です。
──プロドライバーになってよかったことは何ですか? 例えば女性にモテるとか?
宮田選手:残念ながらモテませんでしたね(笑)。今の若い子がどうかは分からないですが、自分の好きなことを仕事にしたいというのはあると思うんです。ただ、自分の同世代を見ていると、好きなことを職にするというのは簡単じゃない。例えば、YouTuberになりたいと言っても、YouTubeだけで生活していける人って一握りだと思うんです。だから、社長になるとか、公務員になるとかが現実的で、なりたい職業ランキングの1位は公務員というのが僕たちの世代でした。その中でアスリートってなかなか少ないというのが現実だと思うんです。
そうした中で、僕は大好きなレースを職にできている。これまでも運転が好きだし、レースが大好きでプロドライバーになりたいと思ってここまで頑張ってきました。それが今プロドライバーとして仕事として成り立っているので、好きなことを仕事にすることができた、それが良かったことだと思っています。
──そんな魅力的なプロドライバーのお仕事ですが、逆につらくて辞めたいと思ったことはありますか?
宮田選手:父に説教をされているときは、いつも「もう辞めてやる~」って思っていました(苦笑)。
──お父さまからはどんな教育的指導を受けていたのでしょうか?
宮田選手:うちはレースができているという意味では世間からしたらお金を持っている部類に入るのかもしれませんが、レースの世界ってホンモノのお金持ちが何百人もいらっしゃって競争している世界なので、小学生の僕は「お金がない子」の部類でした。そこで、小学生の僕は父から厳しく「予算管理を徹底しろ」と言われて自分で管理していました。
──それはお父さまが管理していたという意味でしょうか?
宮田選手:いえ、僕が自分自身で管理していました。言うまでもなくレースをするにはお金がかかります。このレース(SUPER GT)でも、マシンを用意してそれをサーキットに運んできて、それをメンテナンスするメカニックさんがいて、監督がいて、レースクイーンさんがいて……という構造になっていて、それぞれにコストがかかります。それは僕が子どものころに戦っていたカートでも同じで、例えばマシンを買って、消耗品であるタイヤとガソリンを買って、エンジンにオイルを入れるなどのメンテナンスをして……そうしてかかった費用を全部自分で記録していました。
そして、毎年の終わりには、レースを続けるにはこれだけの予算がないとちゃんと走りきれない、走り続けることができないということを両親に報告していました。自分のミスでそれがちゃんとできていないと、すごく説教されていました。
なので子供ながらに練習走行をする時には、この1周にいくらかかっているのかということを常に考えながら練習していました。だからこそ、無駄な練習なんてできないし、お金のことをきちんとしていないと両親に猛烈に怒られるので、今思えばそこが一番しんどかったですね。
──すごい、小学生なのにもう社長みたいですね。
宮田選手:はい、そうですね。そうしたこともあって、今自分の契約関係を処理している会社は両親と自分で運営しているのですが、それを会社組織にしてあるのは、もし僕がレーサーになれなくても、会社を運営してやっていけばいいと両親が考えてくれて設立した会社がベースになっています。その意味では、あの当時口を酸っぱくしてお金の大事さを教えてくれた両親には感謝の言葉しかないです。当時は「しんどいなぁ」って思っていましたが(笑)。
──その宮田選手ですが、今まさに世界に羽ばたこうという段階にあります。今年からTGR(Toyota Gazoo Racing)のWECチャレンジプログラムという若手ドライバー向けの育成プログラムに選ばれて、今年は世界三大レースの1つである「ル・マン24時間レース」に視察に行かれたと聞いています。
宮田選手:実はル・マン24時間レースに行ったのは今回が初めてではないのです。以前家族旅行でル・マン24時間レースを見に行ったことがあって、今回の渡航はそれ以来でした。両親はレースが好きだというのはお話ししてきましたが、特に父はル・マン24時間がとても好きだったので、ル・マン24時間レースに挑戦する日本のチームや日本のドライバーが格好よいとずっと言っていました。実際、当時地上波でやっていたTV放送を録画したものをよく見させられました(笑)。小さかった僕はどうだったかと言えば、なるほどー、これがル・マン24時間レースか、がんばれば将来乗れるんじゃないかなぁと思うぐらいで、当時は両親ほどの思い入れはなかったです。
ですが、今回実際に現地に行ってみて、レーシングドライバーとしての目で見てみると、「やっぱり世界はすごい」と感動させられることがたくさんありました。ようやく両親がいつも感動していた部分を体感できて、「自分もここで走ってレースがしたいし、勝ちたい」と思いました。だから今は、プログラムをしっかりとこなして、将来チャンスが来たら乗れるようにがんばらなければと思うようになりました。
──レースがない休日はどんなことをして過ごされていますか?
宮田選手:仮に自分1人で予定が立てられたらiRacingのようなレースシミュレータとゲームしかしていないです(笑)。最近はまっているゲームは「Apex Legends」と「Dead by Daylight」の2つで、基本友達やゲーム好きのトムスのメカニックの方々と仕事終わりの夜とかに一緒にやっています。
──Discordでボイスチャットしながらやったりする訳ですね?
宮田選手:そうですね、メカニックさんとは「あのときのタイヤ交換がさ……」なんて話をしながらやっています。メカニックさんとも日常会話しているみたいに過ごせるので、結構休みの日はそうしていることが多いですね。
──宮田選手も最近ご結婚され、新婚だとうかがっていますが、奥さまとはどんなところにいきますか?
宮田選手:妻と2人で過ごすときは、妻の買い物に付き合っています(笑)。妻の実家が大阪の方で、仕事でどうしてもそちらに戻らないといけないことが多くて、結構1人で過ごすことも少なくないです。なので、自分で料理もするし洗濯など家事もやっています。あと、子供のときの習性で、家計簿をつけちゃうんですよ。で、家計簿をつけだすと、これは外食の方が安いとか、家で作る方が安いとかそういうことがどんどん気になってくる性分で(笑)。なので、うちでは僕が「これはお金がかかっているので、減らしていこう」なんて提案をしています。
──普段どのような練習やトレーニングをしているのか教えてください。
宮田選手:レースがない時期はジムに行ってトレーニングはしますが、レーサーというのは体重が重くなると不利になるという側面があります。というのも、SUPER GTでは車両重量はドライバー抜きで測るので、ドライバーは軽ければ軽いほど有利だからです。そのため、筋力を増やすというよりは持久力を伸ばすようなトレーニングをやっています。また、スーパーフォーミュラやSUPER GTなどのトップカテゴリーは、規則でテストの回数などが制限されているので、マシンに乗って練習する時間は多くありません。そこでシミュレータなどを使って、こういうマシンやこういう環境のときはこういうセットアップがいいのかなということを勉強して、エンジニアさんと話すときに自分から「こういうセットアップはどうでしょうか?」なんて提案できるように鍛えています。
──「au」のブランドメッセージ「おもしろいほうの未来へ。」にちなんで、最近「おもしろい」と思うことは何ですか?
宮田選手:おもしろい……、これがおもしろいかどうかはちょっと分からないのですが、今僕が「こうなりたい」って言ったことが実現できていて、それがおもしろいですね。誰もが「こうなりたい」って希望をお持ちだと思うし、それは僕にもあります。今までは黙ってそれに向けて努力してきたのですが、最近はマインドを変えて「こうなりたいです」って宣言してみたら、それが実現してきているのでおもしろいなぁと思っています。
──例えば、最近どんなことを実現しましたか?
宮田選手:僕はずっと「世界で戦いたい」と思っていたのですが、これまではそうした話にはなっていませんでした。しかし「今年こそは世界で戦います」と今年に入って宣言したのです。そう宣言する前に妻にも相談したら「絶対そう言い切った方がいいよ」と言ってくれて。そうしたらTGRのWECチャレンジプログラムという、将来世界耐久選手権(WEC)に参戦するためにさまざまな準備をさせてもらえるプログラムに呼ばれて、チャンスが広がったのです。
──宮田選手自身の強みはどこにあると思いますか?
宮田選手:自分の強みは安定して速く走れることだと思っています。レースでは1周ごとにラップタイムを計っていますが、その時間をできるだけ同じようにして走るというのが最終的なレースで勝つための秘訣だと思っています。また、SUPER GTのようなレースは、レースが行なわれる距離が長いので、その中でミスなく走ることが大事だと考えています。
──将来はどんなドライバーになっていきたいですか?
宮田選手:僕は世界で戦える日本人ドライバーになっていきたいです。カートの時代からそれを目指してがんばってきたので、積極的に世界戦に出て行って、世界チャンピオンになりたいです。そのカテゴリーはF1でも、WECでも、他のカテゴリーでもチャンスがあればそれをつかんで、日本を背負って戦っていけるドライバーになりたいです。
そして短期的には、今参戦しているシリーズ(SUPER GT、スーパーフォーミュラ)でどちらもポイントリーダーになっているので(第3戦終了時点)、どちらもしっかりとチャンピオンを目指していきたいです。